maul9

Saturday, February 20, 2010

キャロル夜明け前 第二章




ジョニー大倉著「キャロル夜明け前 第二章」
2009年3月、ライブ中に倒れ、検査の結果早期の肝臓がん
が発見、その年の秋、ステージ復帰を果たしたジョニー
在日コリアンとしての自分、キャロル時代、そして解散後、
宿命の人と語る永ちゃんのこと、、、
すべてを赤裸々に語るジョニー。
永ちゃんとジョニーが同じステージに立つ事はもう無いかもしれないけれど、
ジョンが亡くなり、Beatles解散後、もうポールとジョージが一緒にレコーディングすること
など想像することも出来なかったあの時代、
しかし、The Beatlesアンソロジープロジェクトのとき、
ポールとジョージが同じスタジオでレコーディングをしている
映像を見た時の衝撃、いろいろなことがあったかもしれないけれど、
人は年をとっていろいろなことが許せるようになるものなんだと、、、

Monday, February 08, 2010

Mr’CRAFT



いまはもう閉店してしまったけれど、恵比寿駅西口を
出たすぐそばに、Mr'CRAFTとゆうプラモデルショップがあった、、、

小学生の時、高学年になる頃に学区外に引っ越しをし、卒業するまで
その小学校に通学していた。
そんなわけで中学校に入学したとき、まわりは知らない奴らだらけ、
当然見知らぬ転校生もどきにちょっかいをかけてくる奴らがいた、当然大ゲンカ
になり、数日はにらみ合いが続いたが、気づいてみたら大の仲良し
になり、毎日の様に遊ぶ間柄になっていた。
そんなある日、プラモデル作りには自信があるとゆう奴が自信作
を持って来た、僕もプラモデル作りにはちょいと自信があったので
自分の自信作を見せた、相手の自信作はすっかり忘れてしまったけれど、
僕の自信作はシルバーに筆塗りしたハコスカGTRだった。
僕のプラモ作りの実力を認めた?そいつはいつも行っているとゆう
プラモデル屋に連れて行ってくれた、そこがMr'CRAFTだった。
当時のCRAFTは一階がプラモデル、2階がスロットカー専用のコース
になっていて、戦車や飛行機よりも明らかに車に重点が置かれていた。
いや〜その後、通った通った、そうとうCRAFTには投資しましたねっ!
でもその分、いやそれ以上にいろいろな創作する上での
ノウハウを相当勉強させてもらいましたっ!
残念ながら数年前に閉店してしまったけれど、今の自分にとって、
とてもとても大きな存在であったプラモデル屋さんでした。

Saturday, February 06, 2010

ポールとJazz Bass その2



ホワイトアルバムセッションの頃、サウスポースタイル
のJazz Bassを使用し始め、その後、Band On The Runレコーディング
セッションの際にはデニーレーンが使用していたと見られるJazz Bassを
なんとひっくり返して使用していた!笑
ところでホワイトアルバムでJazz Bass弾いている曲はなんだろう?
早速ホワイトアルバム全曲聞いてみたけどおそらくWarm Gun、Savoy Truffle
の2曲、Don't Pass Me Byもそうかも?Warm Gunはコーラスもジョンがやってる位
だからもしかするとジョンかも?
例のジョージのJ-200と共に写っていたのはSavoyのセッションの時かもね〜?

Monday, February 01, 2010

流れの速い雲?


先週、富士市の田子の浦に仕事で行っていた
田子の浦、、、うんっ?どっかで聞いたな〜?
あっ!そうだヘドラが生まれたヘドロで有名
だったあの海だっ!
子供の頃、当時、ごんのすけ坂にあった東宝の映画館で見た
ゴジラ対ヘドラ、あの舞台になったのが田子の浦だ
誰かが言った「随分流れの早い雲だと思ったら煙突の煙だったよ、、、」
現在も煙突から大量の煙と異臭が鼻をつく、、、
大丈夫なのかな、、、

ポールとJazz BassとジョージとJ-200




ホワイトアルバムレコーディング時のスタジオフォト
ホワイトアルバムのベースといえば、リッケン4001のサウンド
が強烈に印象深いけれど、このフォトでポールはレアなサウスポー仕様
のJazz Bassを使用している。
初期のBeatlesはリッケンやグレッチにVOXのアンプとゆうイメージ
が強い、しかし後期はジョージのオールローズテレキャスター、
サイケストラト、BassⅥ、アンプもツインリバーブ等、フェンダー
色が一気に強まり、実質的なレコーディングでもフェンダーサウンド
がアルバムのトーンを形成している。
ところでジョージのJ-200、よく見てみるとトラスロッドカバーの
取り付けネジが一つ外されていてブラ〜ンとなっている、
さてさて〜なんでだろう〜???